「ダメダメ人間の大逆転」〜25年間のコンプレックスが、会社のミッションをつくった〜



世間では普通の「身体の治し方」を、何か変だぞ!と思ったことがありました。
今から25年以上前の、まだ私が中学生だった時。
集団検診中の担当医が、私の曲がった背骨を見て診断をくだしました。
「ははぁ、この背骨の曲がり方は、明かに脊柱側湾症だね。
ま、ギブスをはめて矯正するか、ひどくなったら手術ですね」と言ったのです。
小学校の高学年から自分の背骨がどんどん曲がってきていたのは、当時の私の一番の悩みでしたから、医者にアドバイス?をしてもらったのはいいのですが、そ の方法が、ギブスや手術だと知って、びっくり。
それから間もないうちに、医学書で矯正器具をつけてロボット化?している子供の写真を見たのが決定打となり、「絶対に嫌だ!そんなこと怖いこと、やるもん か〜!!」と決意したのです。
しかし、他に治す方法がない状態でのその決意は、中学生の私にとっては、孤独な、悲愴な決意でした。
曲がってるからといって、器具で曲がらないように矯正する。
それで間にあわない場合は、手術で骨を真っすぐに固定する。
つまり「曲がってるからまっすぐにする」治療です。それもネジなどを使って…。
本当にそんな治療法しかないのでしょうか?
もっと人間らしく大切に扱われたいと熱烈に思いました。
そんな治療方法があればよかったのですが、現実は違いました。
とは言っても、私自身、振り返ってみれば、身体が一生懸命「発熱」して身体を治そうとしている時に、そんな身体の努力も無視して「熱冷まし」を飲んでし まったこともありますから、本当に人間的な治療って難しいとは思いますが。
さて、ネジや矯正器具から逃げた私は、治せるものなら自分で治してみたいと思うようになりました。
自分の中にある自然治癒力を信じて、それを引き出す方法を追求していこうと決心したのです。

学生時代、サラリーマンの頃、治してくれる道具があるのならと、いろいろなものを買い求めました。
ずっと、治してくれる優秀な治療家がいないものかと探しまわりました。
しかし、私が出会った「身体の専門家」と呼ばれる人たちは皆、「治せる」とは決して言ってくれませんでした。
言われたのは「その曲がった背骨と一生うまく付き合っていく方法を学んだ方がいいね」という言葉でした。
専門家にそんなことを言われると、治らないのではないかと不安になりました。しかし、自分以外に、他の誰がこの背骨の未来に希望を持ってくれるのだと、自 分を励まし、なんとかあきらめないで頑張りました。
人に頼ってばかりいても駄目だと思い、身体のことをもっと勉強しようと、仕事の後、夜間の専門学校に行き、鍼灸あんま指圧マッサージ師の国家資格もとりま した。
「自分で治そう!」そう決心してから、いつの間にか25年の月日が経っていました。

しかし、人生って面白いものですね。
私の前に偉大な天才、池上六朗先生が現れ、こともなげに「これは治せるんじゃないの」というのです。
私は、彼の考えがとても良く理解できましたから、「六朗先生なら治せるな」と確信しました。
その瞬間。私の心に瞬時に浮かんだのは「ぜったいに治されてたまるか!」という気持ちだったのです。これにはびっくりしました。
25年間も治そうと思っていたはずが、本当に治せそうな時、治されてたまるかという感情が浮かんできたのです。
それは、あまりにも強くて、「(六朗先生が治したって)ぜったいに背骨を曲げ続けてやる!」というくらい強い感情でした(笑)。
どうやら、私は自分の意志で背骨を曲げていたらしいのです!
そう気が付いたので、私は自分のコンプレックスと真摯に向きあい、自分で曲げないようなまっすぐな心を持つような努力をし続けました。
そうすると、今まで学んできた身体の手当法、身体の使い方、運動の仕方に、身体もすなおに反応してくれるようになり、1年前よりも身長が3センチ伸びてき ました。
もうすぐ41歳の私が第三成長期?
こんな奇跡のようなことがあるんだって、自分でもびっくりしています。
こんな経験があって、人間の可能性の素晴らしさを、実感とともに伝えられるようになってきたせいか、最近はお客さまからも「治す力を自分で出せたときに起 こることって、凄いわ!」という声も寄せられるようになり、本当に嬉しいです。

私は、過去の自分のように「不調や体のコンプレックス」で苦しんでいる人がいたら次のように、言ってあげたいです。
「もしも、あなたの身体や心の調子が良くなかったとしたら、それは理由があって不調を訴えているんだよ。
あなたが、希望を持って治そうと進んでいけば、かならず道は開けるし、治せるよ!」と。

(2004.08.29 望月 佐知子)


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