憎しみを超えて、全てを赦すと決めた人
「ネズミよ、せめてお前は自由の身になって…」
1926年生まれの奇先生は、日本による朝鮮半島支配、太平洋戦争、朝鮮戦争と続く暗い時代に若い時を過ごしました。 戦前の抗日運動、戦後は自由民主化運動に身を投じて幾度も投獄され、通算11年あまりを獄中の独房で過ごしたそうです。 深い孤独に苛まされた独房の中、先生はネズミと対話することで、心底慰められたといいます。 「ある夜、物音がするので床板のふし穴から覗いてみると、それは小さなネズミだった。 生きている生命に出会えたことが本当に嬉しくて、それからはネズミの来訪を待ちわび、租末な監嶽の食事を取り残して分け与えた。 ネズミもそれに応えて、毎晩やってくるようになったが、たまに来ない時があると、『猫にでもやられたんじやないか』とひどく心配してね。 生きて動いているその小さないのちが本当にまぶしく、いとおしくて、『ネズミよ、おまえは自由の身になって子孫をたくさん増やすんだよ』と語りかけた。」 またある時は、鳥が運んできたのか、独房の窓辺にスイカの種が芽を出していました。 「誰も手をかけないのに、やがて花が咲き、蜂がきて受粉し、実をふくらませていくドラマを飽かずに眺めた。 いのちの驚異、あらゆる生命はつながっているという畏敬の念にうたれ、まるで自分のための宇宙からのメッセージを受け取っているかのようだったね。」 いのちあるものは、いのちのつながりの中でしか生きられない。 独房という極限的な環境では、自分のいのちを呼応させる他のいのちが何もないから、自分が生きていることすら確かめられないのだ、と先生は話されました。 長い獄中生活から解放されたとき、お母さんは重い病気になっていました。 先生はそれまで何度も死刑宣告を受けながら、いつも死の直前になって助けられてきましたが、母親が毎朝身を清め、行方知らずの息子のためにずっと祈ってくれていたことを知りました。 そして、闘いと憎しみの中で生きてきたこれまでの人生はいつも苦しく、それは間違っていた、と気づいたのだそうです。 権力の被害者だったから、「いつか、懲らしめてやる」と権力者を憎みましたが、「彼らも精神的な被害者であり、立場が逆転して仇討ちをすれば、自分もまた権力者と同じになる。 憎しみのカルマを断ち切って、すべてを赦そう」と気づき、歴史と社会が本当に自分に要求していることは何か、と考え始めたのだそうです。 先生と志をともにした政治運動家の多くが、やはり生命運動に転じていきました。 「憎悪の哲学」から解かれると、けわしかった人相も穏やかになり、朗らかに明るくなって、それからはあらゆることが順調に回り始めたといいます。 「現代の病はすべてと言っていいほど、過食、過労、過保護、環境汚染など、何かを加えたことによつて生じたものである」 「過保護で、満ち足りた環境では霊性が劣り、しいたげられた逆境の中にこそ、博愛の精神が生まれる」 「今、自然療法や食事について提案しようとしている人たちは、もっともっと大きく連帯してゆかなければいけない。小さいこだわりは捨てて。」 プハンを手にしていると、奇先生の言葉がふとよみがえってきて、懐かしさと感謝の気持ちでいっぱいになります。 (『緑のセルフ・ケア』より抜粋。文・イラスト共に)
奇|成 (キ・ジュンソン Kee Jun-Song) 先生 略歴
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